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検察庁法改正についての意見
こんにちは、弁護士の江川剛です。
本記事のテーマ
本記事は、検察庁法改正についての意見というテーマについて書いています。
弁護士・江川剛の視点
意見書を提出した松尾邦弘弁護士は、私が検察官志望だった司法修習生時代に検事総長でおられたので個人的には懐かしく感じています(面識はありませんが)。
修習先の横浜地検の図書館で『検察庁法 逐条解説(良書普及会;新版1986年1月)』(「巨悪は眠らせない」との名言を残された故伊藤栄樹検事総長の著作です)を読んだ日々も今では良い思い出です。
その頃には検察庁法がここまで国民に広く認知される日が来るとは思ってもみませんでした。
その意見書の全文が朝日新聞デジタルに公開されていました。
今回の改正法案に賛成の方にも是非目をとおしてもらいたいと思います。
引用されているジョン・ロックやルイ14世の言葉から、中世以降の世界史を振り返ってみても1月31日の閣議決定の異常さや、今回の法改正案の危険性は簡単に想像できると思うのですが。
賛成されている方が挙げている理由のうち、一理あるかもしれないのは
検察庁の強大な権限には民主的統制を及ぼすべきである
という点です。
特に、検察庁に対する不信感が強い人(堀江貴文さん等)に、その傾向が強いように思われます。
しかし現行の制度でも、法務大臣の指揮権だけでなく、検察審査会や付審判請求の制度があり、検察庁のやりたい放題が認められている訳では決してありません。
これに対して、今回の改正法案は、法務大臣(現実的には内閣)に検察官の人事権を認めるに等しいものです。
これが認められてしまえば、時の政権が自身に不都合な事件をもみ消す(「嫌疑不十分」などの理由を付けて不起訴処分にさせる)だけでなく、自身の政争相手を弱体化させるための事件化(通常なら受理されないような軽微な事件の告訴・告発状の受理など)も横行しかねません。
時の政権に評価された検察官が幹部として残り、評価されない検察官は退官していく訳ですから、「巨悪は眠らせない」どころか「巨悪は安心して眠れる」世の中になってしまい、気骨のある人は検察官としてはやっていけなくなってしまうのではないでしょうか。
「検察庁は行政の一部だから」
「国家公務員だから」
……という理由で改正法を正当化しようとする意見は、国家公務員法と別に検察庁法が設けられていることや従来の政府見解を正しく理解していないものです。
国家公務員というなら裁判官も国家公務員です。
立法府が行政府の言いなりになっているような現状では、三権のうちの残る一角である司法府(=裁判所)に期待せざるを得ませんが、そもそも裁判所は起訴、提訴された事件に対して判断するだけですから、立件化される前にもみ消されてしまっては裁判所も判断できないのです。
検察官が刑事裁判の起訴権限(=司法の判断を仰ぐ権限)を独占しているということは、刑事裁判に大きな影響力を持っていることにほかなりません[だからこそ、検察庁は準司法機関とも呼ばれます。そもそも戦前の検事局(現在の検察庁)は裁判所に付置されていました]。
そのため、検察官の人事権を法務大臣・内閣に認めることは、司法を弱体化させることにもつながると思います。
検察庁の強大な権限に民主的統制を及ぼすべきだとしても、検察庁法の施行から70年以上もの間続いてきた制度をここまで大転換してしまう必要性は、政府の答弁からは未だに示されていません。
検察庁への民主的統制を強化すべきであれば、検察審査会や付審判請求の制度をその実効性を高める方向で拡充していくべきではないかと思います。
「権力をもつ者がすべてそれを濫用しがちだということは、永遠の経験の示すところである」
画像出典:Wikipedia
というモンテスキューの言葉を、改めて肝に銘じなければなりませんし、政治に無関心であることの恐ろしさを感じました。
素人が政治に口出しすべきではない、という人もいますが、それは国民の政治への無関心を助長するもので、権力の増長・暴走を許すことにもつながります。
どんな意見でも、萎縮せずに自由に言える世の中であってほしいと願います。
なお、今回の改正法案の全文は内閣官房のウェブサイト(第201回 通常国会)で確認できます。
「国家公務員法等の一部を改正する法律案」に含まれています。
内閣官房のウェブサイト(第201回 通常国会)
国家公務員法等の一部を改正する法律案
改正法案の内容は園田寿教授が分かりやすくまとめておられます。
※本記事は江川剛のFacebookに投稿(2020年5月16日 21:37)した記事を再編集したものです。
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